「ゲージツ家のクマさん」として、スキンヘッドに着流し姿でお茶の間に親しまれた篠原勝之(しのはら かつゆき)さん。
2026年4月25日、その訃報が公式インスタグラムを通じて伝えられ、多くのファンや関係者が深い悲しみに包まれています。

「ついにね、オサラバの時がきちゃったよ。いろいろ、みんなに親切にしてもらって ありがとう。いっぱい感謝して、旅にいきます。アバヨ KUMA」
この言葉を読んで、思わず涙をこぼした方も多いのではないでしょうか。
今回は篠原勝之さんの
を、公式情報をもとに徹底的にまとめました。
篠原勝之の現在:2026年4月17日に肺炎で死去
「ゲージツ家のクマさん」として親しまれた美術家の篠原勝之さんが、2026年4月17日、肺炎のため奈良市の病院で死去しました。84歳でした。
訃報が発表されたのは4月25日のこと。
公式インスタグラムで「篠原の体調についてご心配をおかけしておりましたが、4月17日に他界いたしました」と伝えられました。
「いつもあたたかく見守っていただき、お力添えを賜りましたことに、心より感謝いたします。ありがとうございました」と謝意が述べられ、「本人の遺志により通夜葬儀は行わず、20日に親近者で旅立ちを見送りました」と報告されています。
葬儀・告別式を行わないというのも、型破りだったクマさんらしい最期の選択です。
最後まで「自分らしく」を貫いた姿勢が伝わってきますよね。
篠原勝之の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 篠原 勝之(しのはら かつゆき) |
| 生年月日 | 1942年4月15日 |
| 没年月日 | 2026年4月17日 |
| 享年 | 84歳 |
| 出身地 | 北海道室蘭市出身(札幌市生まれ) |
| 職業 | 芸術家・タレント・作家 |
| 愛称 | クマさん・KUMA |
| 死因 | 肺炎 |
| 最終学歴 | 武蔵野美術大学中退 |
生後すぐにジフテリアにかかり、嗅覚と左耳の聴覚を失うという、壮絶なスタートを切った篠原さん。
それでも独自の道を力強く歩み続けた人生は、まさに「ゲージツ」そのものでした。
誕生日は4月15日で、亡くなったのは4月17日。誕生日のわずか2日後に旅立ったことも話題になっています。
最期の言葉「アバヨ」が涙を呼ぶ理由
亡くなる日の朝に口頭で託したメッセージ
今回、最も多くの人の心を揺さぶったのが、篠原さんが亡くなる当日の朝に近親者に口頭で託したというメッセージです。
公式インスタグラムには「亡くなる日の朝、篠原から口頭で託された皆さまへのメッセージを以下に記します」として、
「ついにね、オサラバの時がきちゃったよ。いろいろ、みんなに親切にしてもらって ありがとう。いっぱい感謝して、旅にいきます。アバヨ KUMA」
という言葉が掲載されました。
「アバヨ」というのは「さようなら」の古い俗語表現。悲壮感はまるでなく、むしろ飄々として、それでいて感謝の気持ちがあふれているこの言葉は、まさに篠原さんのキャラクターそのものです。
「旅にいきます」という表現にも、死を「旅立ち」として受け入れた、彼なりの死生観が込められているように感じられますよね。
「残っている力をぜんぶ出しきって終わりたい」
インスタグラムには
「ヒトからどう見られようと、どんな時も、今おかれている状況を面白がって、一生懸命に力のかぎりを尽くす。その在りようは最後の最後まで変わりませんでした」
とも記されており、「『残っている力をぜんぶ出しきって終わりたい』語っていた通りに離陸(晩年、好きで使っていた言葉です)しました」と故人をしのぶ言葉が続いています。
「離陸」という言葉を晩年によく使っていたというのが、また粋ですよね。
死を「着地」や「終わり」ではなく「離陸」と表現するあたりに、クマさんらしい前向きさと美意識が感じられます。
篠原勝之の妻・家族構成は?
前妻との間に1男1女
篠原さんの家族構成については、前妻との間に一男一女をもうけています。
過去に一般女性と結婚し、36歳の頃に離婚を経験したとされています。
離婚後、再婚したという公的な情報はなく、晩年は独身を通し、芸術家としての自由な生き方を貫いていたとみられています。
元妻や子供たちは一般の方であり、詳細は公表されていません。ただ、篠原さんが手がけた自伝的なエッセイや著作の中では、家族に対する複雑ながらも深い情愛が綴られていたこともあり、家族との関係を完全に断ち切っていたわけではなかったようです。
晩年は奈良で独り創作に没頭
晩年は奈良市を拠点とし、独身として創作活動を続けていました。奈良に移住した2021年以降は、鉄を使った大型彫刻から土・絵画・執筆へとシフトし、より内省的な表現世界を追求していたとされています。
篠原勝之の年齢と人生の軌跡
室蘭出身→高校で家出→上京という破天荒な青春
篠原さんは1942年、札幌に生まれ、室蘭市で育ちました。
高校卒業前に家出して上京し、武蔵野美術大学に入学するも中退。
グラフィックデザイナーとして広告制作会社に数年勤務した後、退職。
日雇いのアルバイトをしながら挿絵画家・絵本作家として活動を始めました。
「高校を出る前に家出して上京」という出だしからすでに普通じゃないですよね。
でもそのはみ出し方こそが、のちの「ゲージツ家」としてのスタイルの原点だったのかもしれません。
「状況劇場」での出会いが転機
1970年代に唐十郎さん率いる「状況劇場」の舞台美術やポスターを手がけたことが、芸能界との接点となりました。
この唐十郎さんとの仕事を通じて、嵐山光三郎・赤瀬川原平・糸井重里・椎名誠といった時代のクリエイターたちと親しくなっていきます。そしてそのコミュニティの中で磨かれた独特の文体と感性が、後のエッセイスト・タレントとしての活躍につながっていきます。
テレビで愛された「クマさん」の全盛期
「笑っていいとも!」でブレイク
1982年から嵐山光三郎が司会をしていた「笑っていいとも!増刊号」に出演したことで注目を集め、以降はタモリ・ビートたけし・明石家さんまのお笑いBIG3の番組を中心に、テレビタレントとしても活動するようになりました。
「笑っていいとも!」木曜レギュラーとして1985年から1987年まで出演し、スキンヘッドに着流し、少し武骨でユーモアたっぷりの「クマさん」キャラクターで一躍人気者に。
篠原勝之の芸術家としての業績
「鉄のゲージツ家」から「土のゲージツ家」へ
溶接オブジェを得意とし「鉄のゲージツ家」の異名を持つ篠原さん。溶接の他にもガラスや銅版画での作品を発表していました。
日頃から自分の作品を「芸術」ではなく「ゲージツ」と称していたのも、権威への反骨心の表れでした。
2021年に山梨から奈良に移住した際、オブジェの素材は鉄から土へと移りました。
重い鉄を扱う体力的な限界と、より静かで内省的な表現へのシフトが重なったのでしょう。
奈良の古都の静寂が、晩年の篠原さんの創作世界にぴったりとはまっていたようです。
文学賞を2度受賞した文筆家の顔
芸術家・タレントとしてのイメージが強い篠原さんですが、実は文筆家としても高い評価を受けていました。
2009年には「走れUMI」で第45回小学館児童出版文化賞を、2015年には「骨風」で第43回泉鏡花文学賞を受賞しています。
「骨風」は自身の半生や死生観を見つめ直した短編小説集で、山崎哲の脚本・演出で2016年に舞台化され、篠原さん本人も出演しています。
晩年の篠原勝之:奈良での創作生活
2022年の個展「空っぽ展」が話題に
2022年3月には東京・恵比寿のシス画廊で個展「空っぽ展」を開催。
作品には番号がふってあるだけで、タイトルも銘もなく、「皆はなんにでも意味を求めるが、たいてい意味なんかない。生きることにも意味はない。
といって早く死ぬこともない。ただ生きてるから生きてるんだ」などと説明していました。
この言葉に、晩年の篠原さんの境地が凝縮されていると思いませんか。
意味や価値を求めすぎる現代社会へのアンチテーゼでもあり、同時に「それでも生きることそのものが美しい」というメッセージでもある。
奈良での日々と「アバヨ」への道
奈良での生活は、愛犬との散歩、キャンバスへ向かう静かな時間、執筆の日々でした。
かつてのバラエティ番組での暴れん坊なイメージとは打って変わり、慈愛に満ちた隠居のゲージツ家として過ごしていたようです。
そして2026年4月17日、奈良市の病院で静かに息を引き取りました。
亡くなる日の朝まで近親者に言葉を託していたというのは、最期まで「表現すること」を止めなかった篠原さんらしい最後の行為だったと思います。
「アバヨ」に寄せられた反応
篠原さんの訃報とともに「アバヨ」というメッセージがSNSで広まると、瞬く間に多くの反応が寄せられました。
「クマさんらしい最期。最後までカッコいい大人だった」「『アバヨ』という一言に、彼の生き様が詰まっている気がして涙が止まらない」「テレビで見ていたクマさんが亡くなったって信じられない」「旅にいきますって言い方が、また泣ける」
「アバヨ」というたった3文字に、感謝・飄々とした潔さ・温かさのすべてが詰まっていました。だから多くの人の心に刺さったんだと思います。
まとめ
篠原勝之さんの「現在」を整理するとこうなります。
2026年4月17日に肺炎のため奈良市の病院で死去、享年84歳。
亡くなる当日の朝に近親者に口頭で託した最期のメッセージ「ついにね、オサラバの時がきちゃったよ。いろいろ、みんなに親切にしてもらって ありがとう。
いっぱい感謝して、旅にいきます。
アバヨ KUMA」は、インスタグラムを通じて発表され、多くのファンの涙を誘いました。
本人の遺志により通夜葬儀は行わず、4月20日に親近者で旅立ちを見送ったとのこと。「残っている力をぜんぶ出しきって終わりたい」という言葉どおりに、語っていた通りに「離陸」した篠原さん。
鉄を溶接し、土をこねて、言葉を綴り、テレビで笑わせ、最後は「アバヨ」と旅立っていったクマさん。豪快で、繊細で、誰よりも純粋だったその生き様は、残されたすべての作品と言葉の中に、永遠に生き続けます。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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