引用元:Yahoo!ニュース – Yahoo! JAPAN
元読売ジャイアンツのスター遊撃手であり、2025年まで一軍ヘッド兼打撃チーフコーチを務めた二岡智宏(におか ともひろ)さん。
選手時代は“巨人の要”としてチームを支え、引退後も指導者として若手育成と打撃部門の改革を担ってきました。
本記事では、二岡智宏さんがどんな人物なのか(=何者なのか)を、最新情報を交えて徹底解説します。
基本プロフィール
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 二岡 智宏(におか ともひろ) |
生年月日 | 1976年4月29日 |
年齢 | 49歳(2025年現在) |
出身地 | 広島県三次市 |
身長 | 180cm |
体重 | 約81kg |
学歴 | 広陵高校 → 近畿大学経済学部 |
家族 | 父・母・妻・子ども(長男は野球選手) |
現職 | 元・巨人ヘッド兼打撃チーフコーチ(2025年シーズン限りで退団) |
出身地・学歴(高校・大学)

広島県三次市出身
二岡さんは野球が盛んな広島県三次市で生まれ育ちました。幼少期から父親の指導で野球を始め、小学生の頃から頭角を現していたといわれます。
広陵高校時代
進学したのは広島の名門・広陵高校。
当時から守備・打撃ともにハイレベルで、「県内最高のショート」として注目を集めました。甲子園出場こそ逃しましたが、プロスカウトからもマークされる存在でした。
近畿大学時代
その後、近畿大学経済学部に進学。1年生からレギュラーとして活躍し、大学日本代表にも選出。
関西学生リーグでは通算打率.320を記録し、1998年ドラフト会議で巨人から2位指名を受けます。
プロ野球経歴

1998年:巨人ドラフト2位で入団
大学卒業後、1998年のドラフトで読売ジャイアンツに2位指名され入団。
入団当初から華のあるプレーで注目を集め、2000年代初頭の巨人黄金期を支える中心選手となりました。
2000〜2008年:正遊撃手として大活躍
2009年〜2013年:日本ハム移籍〜現役引退
2009年に北海道日本ハムファイターズへ移籍。
代打やベテランとしてチームを支え、2013年に現役を引退しました。
指導者としての経歴

引退後はすぐに指導者の道へ。
巨人軍の2軍・3軍コーチとして若手育成を担当し、後に独立リーグ富山GRNサンダーバーズで監督を務めるなど多彩なキャリアを積みます。
年 | 主な役職・チーム | 内容 |
---|---|---|
2014年 | 巨人三軍打撃コーチ | 育成選手を中心に指導 |
2018年 | 富山GRNサンダーバーズ監督 | 独立リーグで采配経験 |
2021年 | 巨人二軍監督 | 若手打者の指導に尽力 |
2024年 | 巨人一軍ヘッド兼打撃チーフコーチ | 阿部慎之助監督体制を支える |
2024年には、阿部新監督のもとで一軍ヘッド兼打撃チーフコーチに就任。
チームの戦略面・打撃方針の統一などを統括し、2024年にはセ・リーグ優勝を果たしました。
現在(2025年)と退団の背景
2025年シーズン、巨人はリーグ3位でクライマックスシリーズ敗退。
この結果を受けて、二岡智宏さんは2025年限りで退団することが発表されました。
阿部監督の体制刷新の一環とみられますが、
チーム再建期において若手打者の成長を支えた功績は非常に大きいと評価されています。
今後の進路はまだ明らかにされていませんが、
解説者・監督・GM補佐など、球界で再登場する可能性も高いと見られています。
家族構成(父・母・妻・子ども)

家庭では父親としても誠実で、休日には家族と過ごす時間を大切にしているといわれます。
人柄・指導スタイル

現役時代から「無口で実直」なタイプとして知られる二岡さん。
指導者としては「怒るより寄り添う」スタイルを重視し、若手選手の自主性を伸ばすタイプです。
また、阿部監督や坂本勇人選手など、巨人黄金期のOBとの信頼関係も厚く、
チーム全体の打撃意識改革を推進した立役者でもあります。
まとめ|二岡智宏は「静かなる知将」――巨人を支えた頭脳派リーダー
二岡智宏さんは、華やかな派手さよりも「確かな実績と人望」で球界を支えてきた人物です。
今後も、野球界の内外でその経験を活かした活動に期待が集まります。
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