引用元:X
日本を代表する名司会者・女優の黒柳徹子さん。
その長い芸能人生や社会貢献活動は広く知られていますが、実はご家族や父親が歩んだ「戦争の時代」についてはあまり語られてきませんでした。
黒柳さんの父・黒柳守綱さんは、日本のクラシック音楽界で活躍したヴァイオリニストであり、戦中・戦後を通じて家族を支え続けた人物です。
徹子さん自身のエッセイやインタビューの中には、戦争を経験した家族ならではのエピソードも多く残されています。
本記事では、黒柳徹子さんの父と戦争体験、さらに家族にまつわる秘話をわかりやすくまとめました。
黒柳徹子の父・黒柳守綱とは
黒柳徹子さんの父・黒柳守綱(くろやなぎ もりつな)さんは、日本を代表するヴァイオリニストです。
東京放送管弦楽団や新交響楽団(現・NHK交響楽団)でコンサートマスターを務め、クラシック音楽界に大きな足跡を残しました。
しかし、華やかな音楽人生の裏には、第二次世界大戦による過酷な試練が待ち受けていました。
黒柳守綱の戦争体験

満州への出征と戦況の激化
1942年、満州国で演奏活動を行った後、日中戦争の影響で招集を受け、1944年には満州へ出征。
敗戦後はソ連軍の捕虜となり、シベリア抑留という過酷な状況に置かれました。
シベリア抑留と音楽による慰問
1945年から約4年間、シベリアの収容所で生活を余儀なくされた守綱さん。
しかし彼は音楽家としての誇りを失わず、「沿海州楽劇団」の一員として慰問活動を実施。
極寒の地で心身ともに厳しい環境にありながらも、バイオリンの音色で仲間や現地の人々を励まし続けました。
1949年末、ようやく日本に帰国を果たしたとき、彼の存在は“音楽と平和の力”を象徴するものとなっていました。
家族に与えた影響と黒柳徹子への想い

戦時中、母・黒柳朝さんと子どもたちは疎開を余儀なくされ、空襲の恐怖にさらされました。
幼い徹子さんもまた、戦争による不安や父の不在を経験。
その体験は徹子さんの人生観に強く影響を与えました。
徹子さんは後年、こう語っています。
「子どもには責任はなく、大人の行動に巻き込まれるだけ。」
この思いは、彼女がユニセフ親善大使として活動し、世界中の子どもたちの平和と安全を訴え続ける原点ともいえます。
知られざる家族秘話とエピソードTOP3
- シベリアで奏でた音楽
極寒の収容所で行われた演奏は、戦争に翻弄された人々の心を慰めた。 - 徹子さんの平和活動への影響
父の抑留体験は、徹子さんが「戦争は二度と繰り返してはいけない」と語る背景となった。 - 芸術一家の強い絆
父・守綱だけでなく、弟・紀明もヴァイオリニスト、妹・眞理も芸術の道を志すなど、黒柳家は文化と芸術の力で戦後を生き抜いた。
まとめ
黒柳徹子さんの父・黒柳守綱さんは、第二次世界大戦で満州に出征し、敗戦後にシベリア抑留を経験しました。
その過酷な環境の中でも音楽を奏で、人々に希望を与え続けた姿は、今もなお貴重な戦争証言となっています。
そして、その経験は徹子さんの心に深く刻まれ、ユニセフ親善大使としての活動や平和への強い思いにつながっています。
“戦争を乗り越えた音楽家の父”と、“平和を訴える娘”。
親子二代にわたる人生は、戦争の悲惨さと音楽・芸術の持つ力を私たちに教えてくれます。
コメント