久保田早紀とは何者?身長・年齢・体重・学歴・経歴を徹底解説【2026最新】

芸能人

「異邦人〜シルクロードのテーマ〜」、カラオケで歌ったことある人、結構多いんじゃないでしょうか。

あのオリエンタルなメロディーで一時代を作った久保田早紀さんですが、
「今どうしてるの?」
「本名って何だっけ?」
って聞かれると、案外みんな答えられないんですよね。

実は2025年に入って週刊女性PRIMEや婦人公論など複数のメディアでロングインタビューが組まれ、改めて注目を集めています。

この記事では、久保田早紀さんの身長・年齢・体重といった基本データから、学歴、デビューのきっかけ、そして引退後から2026年現在までの経歴を、信頼できるメディアの報道をベースにわかりやすくまとめてみました。

「異邦人」しか知らない人も、これを読めば久保田早紀という人物のすべてがスッと頭に入るはずです。

久保田早紀の基本プロフィール|本名・年齢・身長まとめ

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まずは基本情報からおさらいしましょう。

久保田早紀さんは芸名で、本名は久米小百合(くめ さゆり)さん。

旧姓は久保田です。生まれは1958年5月11日で、2026年6月現在の年齢は68歳になります。

出身地は東京都北多摩郡国立町(現在の国立市)で、13歳のときに八王子市に引っ越しています。

団地住まいで、母親の意向で4歳からクラシックピアノを習っていたという、いわゆる音楽好きの家庭環境で育った人です。

身長・体重に関しては、芸能活動を引退してから長い年月が経っていることもあり、現在は公式に公表されている数値はありません。

デビュー当時の雑誌などでは身長160cm前後という記載が見られますが、こちらは当時の資料に基づく目安として捉えてください。

現在は本名・久米小百合として音楽宣教師(ミュージック・ミッショナリー)の活動をメインにしているため、芸能人的なスペック公開はそもそも行っていないのが実情です。

血液型などのプロフィールも非公表の部分が多く、これは「歌手」というより「キリスト教音楽家」としての肩書きで活動していることが大きく影響しているといえそうです。

ちなみに2023年7月のインタビューでは、デビューした当時を振り返って「実力も気持ちも追いつかず、自分で自分を追い詰めていた」と語っていて、ミリオンヒットの裏側にあった本人なりの苦悩も明らかになっています。

世間のイメージとは裏腹に、物腰の柔らかい、フレンドリーで温かい人柄だと評する記事も多く、長年第一線を離れていても変わらない人間味が伝わってきます。

久保田早紀の学歴|短大時代にデビューのきっかけが

学歴の話の前に、まず触れておきたいのが幼少期からの音楽との関わりです。

久米さんは小学校高学年になると、フォークソングや歌謡曲、ビートルズなどを好んで聴くようになり、中学生になるとクラシックピアノのレッスンをやめてしまいます。

八王子市立第四中学校時代には、同級生のコピーバンドにキーボード担当として参加するなど、すでに音楽活動に前のめりだったことがわかります。

出身校はどこ?

高校は共立女子第二高等学校に進学。

その後、共立女子短期大学文学科に入学しました。

芸能界デビューのきっかけは、実はこの短大在学中の出来事です。

当時開催されていた「ミス・セブンティーンコンテスト」に応募する条件として、CBSソニー(現ソニー・ミュージックレコーズ)に自分の歌を録音したカセットテープを送ったところ、一次審査に合格。

本人はアイドル向けのオーディションだと知らずに応募していたそうで、水着審査は固辞したものの、その代わりにスタジオでの弾き語りを披露することになり、そこで運命的にディレクターと出会います。

ちなみに同じコンテストには、後に大スターとなる松田聖子さんも参加していたというのも、ちょっと驚きのエピソードですよね。

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大学には進学せず、短大卒業と同時にデビューへ

短大を卒業したのは1979年。

その年のうちに三洋電機がタイアップに付き、デビューが決まります。

つまり久保田早紀さんは、4年制大学には進学せず、短大卒業とほぼ同時にプロのシンガーソングライターとしての道を歩み始めたわけです。

最終学歴は共立女子短期大学文学科ということになります。

久保田早紀の経歴|異邦人の大ヒットから引退、そして音楽宣教師へ

ここからは芸能界での歩みを時系列で見ていきましょう。

1979年10月1日、「久保田早紀」のアーティスト名でレコードデビュー。
デビュー曲は「異邦人〜シルクロードのテーマ〜」です。

実はこの曲、本人が当初つけたタイトルは「白い朝」という、異国情緒とはまったく関係のない日常を歌った曲でした。

三洋電機のCMタイアップに合わせて、当時のディレクターによって歌詞・曲ともに大幅にアレンジされ、最終的に音楽プロデューサーの判断で「異邦人」と改題されたという、本人の意図とは少し違う形でのヒットだったんです。

実際、本人は「異邦人」というタイトルには反対していて、「旅人」や「エトランジェ」という案を出していたものの、通らなかったというのも知る人は少ないエピソードかもしれません。

このデビュー曲は140万枚を超えるミリオンセラーとなり、「ザ・ベストテン」では3週連続1位、ベストテン入りは12週にわたるという大ヒットを記録しました。

一躍ニューミュージック界の話題の歌手となり、その後も「天界」「サウダーデ」といったアルバムを次々リリース。ポルトガルでの現地レコーディングを行うなど、エキゾチックな世界観を貫いた活動を続けました。

結婚を機に芸能界を引退

1981年、めじろ台のキリスト教会でプロテスタントの洗礼を受けます。

子どもの頃に日曜学校に通っていた経験から、ポルトガルでのレコーディングを終えて帰国した後に「もう一度教会に通ってみたい」という気持ちが芽生えたそうです。

そして1984年11月26日、東京・九段会館でのフェアウェルコンサートを最後に芸能界を引退。

「久保田早紀としてはもう十分に活動した」という思いと、音楽家の久米大作さんとの結婚を機に、商業音楽活動から離れる決断をしました。

久米大作さんとは所属事務所もマネージャーも同じだったという縁があり、もともとファンだった久米さんの方からアプローチしたというエピソードも伝えられています。

引退後は音楽宣教師として、現在も精力的に活動

引退後は本名の久米小百合として、音楽を通じてキリスト教の教えを伝える「音楽宣教師(ミュージック・ミッショナリー)」として活動を続けています。

教会やミッションスクールを中心に、音・言葉・絵画を組み合わせた独自スタイルのチャペルコンサートを行っているのが特徴です。

長い不妊治療を経て39歳で長男を出産し、母としての顔も持っています。

2025年2月には週刊女性PRIMEのロングインタビューに登場し、「久保田早紀という商店で売るものは売りつくした」という印象的な言葉で当時の心境を語りました。

同インタビューでは、2024年以降は能登半島地震の被災地支援にも力を入れていることが明かされ、東日本大震災後に立ち上げたNPO法人LOVE EASTの代表として、宗教の枠を超えた支援活動を続けていることもわかっています。

2025年の活動としては、6月21日に愛知県碧南市芸術文化ホールで「オリーブオイルと異邦人 トーク&コンサート」を開催。

オリーブオイルソムリエの資格を活かした食のトークと、唱歌・讃美歌・オリジナル曲を組み合わせた公演を行いました。

さらに同年12月15日には、音楽伝道40年の節目として「イエスの栄光教会」でのコンサートも開催されています。

芸能界に復帰する予定はないものの、講演やコンサート、メディアのインタビューなど、節度を持った形での活動は途切れることなく続いているのが現在の久保田早紀さん、つまり久米小百合さんの実像です。

ちなみに意外な肩書きとして、久米さんはオリーブオイルソムリエの資格も保有しています。

聖書の中に頻繁に登場する「油」という存在に関心を持ったことがきっかけで資格を取得し、オリーブオイルのテイスティングをしながら聖書の世界を学べる「バイブルカフェ」の講師としても活動中。

さらに東京バプテスト神学校神学科を修了したのち、カーネル神学大学院の博士課程も修了しているという、神学についてもかなり本格的に学んでいる人物であることがわかります。

歌手としてだけでなく、神学・支援活動・食の分野まで広く学び続けている姿勢が、現在の活動の幅広さにつながっているんでしょうね。

まとめ

久保田早紀さんは、本名・久米小百合として1958年に東京都国立市で生まれ、共立女子短期大学を卒業した1979年にデビューした歌手です。

デビュー曲「異邦人」は本人の意図とは異なる形でアレンジされながらも140万枚を超える大ヒットとなり、わずか5年という短い活動期間で芸能界を駆け抜けました。

1984年に結婚を機に引退してからは、本名で音楽宣教師として教会音楽の世界に身を置き、2025年に入ってもメディアのインタビューやコンサート、被災地支援活動など幅広く活動を続けています。

「異邦人」のヒットだけで終わらない、信仰と音楽を両立させながら歩んできたその後の人生こそが、久保田早紀さんという人物の本当の魅力なのかもしれません。

これからの活動が気になる人は、ソニーミュージックの公式サイトやコンサート情報をこまめにチェックしてみてください。

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