
埼玉西武ライオンズのヘッドコーチとして再建を担う鳥越裕介さん。
今でこそ「名伯楽」「守備の鬼コーチ」として知られていますが、若い頃から並外れた才能と強烈な個性を持っていたことをご存知でしょうか?
今回は鳥越さんの明治大学時代から中日ドラゴンズ時代にかけての若い頃にフォーカスして、知られざるエピソードをご紹介します。
鳥越裕介の原点:大分県臼杵市での少年時代
鳥越裕介さんは1971年7月1日、大分県臼杵市生まれ。
人口3万人ほどの小さな城下町で育ちました。
地元の大分県立臼杵高等学校に進学し、野球部でその才能を開花させます。
189cmという恵まれた体格を持ちながら、遊撃手(ショート)としてプレー。
当時から長打よりも守備と正確な送球にこだわるスタイルで、注目を集めていました。
若い頃の知られざる3つのエピソード

エピソード①:明治大学で全日本メンバーに選ばれた守備の天才
臼杵高校卒業後、鳥越さんは名門・明治大学野球部へ進学します。
六大学野球の激戦区で主力遊撃手として活躍し、その守備力は大学野球界でも群を抜いていました。
その実力が評価され、全日本大学野球代表に選出。
日米大学野球選手権大会にも出場しています。国際舞台でも通用する守備力をすでに若い頃から発揮していたわけです。
大学時代から「守備なら鳥越」というイメージは確立されており、後の現役記録につながる下地はこの時期に作られたと言っていいでしょう。
エピソード②:1993年ドラフト2位という高評価でのプロ入り
大学卒業後の1993年、鳥越さんは中日ドラゴンズからドラフト2位で指名を受けます。
ドラフト2位というのは決して低い順位ではなく、球団から即戦力として期待されていた証拠です。
当時の中日ドラゴンズは、星野仙一監督のもとで強豪チームを形成していた時期。
そんな競争の激しい環境に飛び込んだ鳥越さんは、守備のスペシャリストとしてチームに貢献していきます。
長打力こそ目立たないものの、「勝つために必要な仕事」を確実にこなすスタイルは、プロ入り当初から変わりませんでした。
エピソード③:1997年に遊撃手守備率.997の日本記録を樹立
中日時代最大の輝きといえば、1997年に記録した遊撃手守備率.997です。
これは当時の日本記録であり、プロ野球史に残る偉業と言っても過言ではありません。
守備率とはエラーの少なさを示す指標。
.997という数字は、ほぼ完璧な守備をシーズンを通して続けたことを意味します。
「守備の鬼」という称号はこの記録から生まれたと言っても過言ではないでしょう。
本人は「つねに10割にチャレンジしたい」という言葉を残しており、この姿勢が日本記録樹立へとつながったのです。
中日からダイエーへ:若き日の転機

1999年、鳥越さんは福岡ダイエーホークスにトレードで移籍します。これが鳥越さんのキャリアにとって大きな転機となりました。
ダイエーでは内野守備の要として活躍し、2003年・2005年のリーグ優勝・日本一に貢献。
チームの黄金時代を守備面から支える存在となっていきます。
若い頃から培ってきた守備技術と職人気質が、移籍後のダイエー・ソフトバンクでも存分に発揮されたわけです。

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まとめ
鳥越裕介さんの若い頃を振り返ると、以下の3点が特に際立っています。
今の「名コーチ・鳥越裕介」の原点は、臼杵の小さな町で野球と向き合い続けた少年時代と、明治大学・中日での徹底した守備へのこだわりにあったんですね。

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