
「赤頭巾ちゃん気をつけて」
という小説のタイトル、聞いたことがある人は多いんじゃないかな。
その作者・庄司薫さんが、2026年4月5日に老衰で88歳の生涯を閉じました(読売新聞・2026年報道)。
芥川賞を受賞し、累計360万部超のベストセラー四部作を書き上げた後、1977年以降は約半世紀にわたって小説を発表しなかったというユニークすぎる人生。
世界的ピアニストの中村紘子さんとの結婚秘話、実はプロ級だった投資の腕前など、作品と同じくらいドラマチックなんです。
この記事では、庄司薫さんの基本プロフィールから学歴・経歴・代表作、そして最愛の妻・中村紘子さんとの関係まで、2026年の最新情報をもとにまとめています。
「この人、何者?」という疑問にしっかり答えますね!
庄司薫の基本プロフィール
※庄司薫さんはSNSを開設しておらず、公式アカウントはありません。最新情報は中村紘子さんの公式サイト・各メディアでご確認ください。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 福田 章二(ふくだ しょうじ) |
| ペンネーム | 庄司 薫(しょうじ かおる) |
| 生年月日 | 1937年4月19日 |
| 没年月日 | 2026年4月5日(享年88歳) |
| 出身地 | 東京都豊島区東池袋 |
| 最終学歴 | 東京大学法学部卒業 |
| 職業 | 小説家・投資家 |
| 受賞歴 | 中央公論新人賞(1958年)、第61回芥川賞(1969年) |
| 代表作 | 『赤頭巾ちゃん気をつけて』(累計160万部超) |
| 妻 | 中村紘子(ピアニスト、2016年死去) |
| 子供 | なし |
ちなみに「庄司薫」というのはペンネームで、小説の主人公の名前でもあります。面白いですよね、自分の作品の主人公名を筆名にするなんて。
学歴・幼少期のエピソード

名門一家に生まれた”本の虫”
庄司さんは三省堂の専務を父に持ち、幼い頃から豊富な文学書に囲まれて育ちました。太平洋戦争中は埼玉県秩父に疎開しており、そこでも読書を続けていたといいます。
日比谷高校→東大という超エリートコース
高校は都立日比谷高校に進学。同級生には塩野七生や古井由吉など、のちに文壇を彩る名前がずらりと揃っていました。高校時代は「芸術派の総帥のつもりだった」と本人が語るほどの文学青年ぶり。
大学は1957年に東京大学文科二類(現在の文科三類相当)に入学。その後、教養学部から法学部に傍系進学し、第三類を卒業しています。
| 年 | 学歴・出来事 |
|---|---|
| 高校 | 都立日比谷高校(塩野七生・古井由吉と同級) |
| 1957年 | 東京大学文科二類入学 |
| 1957年 | 東大教養学部機関誌「学園」に初作品を発表 |
| 1958年 | 『喪失』(本名・福田章二名義)で中央公論新人賞受賞 |
| 1960年 | 東大法学部第三類卒業 |
大学在学中に中央公論新人賞を受賞するなんて、在学中からその才能は本物だったんですね。ただし、受賞直後に三島由紀夫から才能を認められた一方で、江藤淳から「新人福田章二を認めない」という酷評も受けるなど、文壇のデビューは波乱含みでした。
庄司薫の経歴と代表作

謎の空白期間と「庄司薫」の誕生
1960年に本名名義で最後の作品を発表した後、本人が「総退却」と呼ぶ謎の空白期間に突入します。
一説ではエジプト学を学んでいたとか、大蔵省に勤務していたとも言われていますが、詳細は不明のまま。
そして約9年のブランクを経て、1969年に初めて「庄司薫」の筆名で発表したのが、あの『赤頭巾ちゃん気をつけて』です。
芥川賞受賞作「赤頭巾ちゃん気をつけて」
学生紛争によって東大入試が中止された年を舞台に、高校生の「薫くん」が一人称「ぼく」で語る青春小説。
三島由紀夫たちに才能を認められ、第61回芥川賞を受賞しました。
単行本と文庫本を合わせた発行部数は160万部超という大ベストセラーに。
この作品は「村上春樹に影響を与えた」とも語られ、現代文学史上でも重要な作品とされています。
薫くん四部作のすべて
庄司さんの代表作は、日比谷高生の「薫くん」を主人公にした全4作、いわゆる「薫くん四部作」です。
| タイトル | 発表年 | 特徴 |
|---|---|---|
| 赤頭巾ちゃん気をつけて | 1969年 | 芥川賞受賞作。累計160万部超 |
| さよなら快傑黒頭巾 | 1969年 | 四部作の2作目。映画化はなし |
| 白鳥の歌なんか聞えない | 1971年 | 映画化・NHKドラマ化された |
| ぼくの大好きな青髭 | 1977年 | 四部作完結。以後50年近く小説は発表せず |
四部作のシリーズ累計は360万部超(読売新聞・2026年報道)。特に「赤」と「白」は映画化もされました。
1977年以降の”沈黙”
最後の作品『ぼくの大好きな青髭』を発表した後、庄司さんは作家としての沈黙を選びます。以来、約半世紀にわたって新作小説は発表されませんでした。
ただし引きこもっていたわけじゃなく、妻・中村紘子さんのコンサート後のパーティに顔を出したり、趣味の書(書道)を楽しんだり、各出版社の編集者と仕事抜きの交際を続けていたといいます。
小説以外でも凄かった!投資の腕前とソニー秘話

プロも驚愕した投資センス
1977年以降に小説を書かなかった庄司さんは、その間、不動産や株の投資で財を築いていました。1985年から2006年の間に総額13億7,000万円もの資金を借り入れ、株や不動産に投機。
バブル崩壊で多くの投資家が痛手を負う中、この夫婦は巧みに売り抜けていたと伝えられています。
弁護士から「常識的には破産していてもおかしくないケースで、これはもうプロの投資家のレベル」と称賛されたほどでした。
2006年には借金(元利合計で借入金の倍額程度)を完済しています。
ソニーのウォークマン誕生にも関わっていた!
これはあまり知られていないエピソードですが、ソニーのウォークマン発売を後押ししたのも庄司薫さんだといわれています。
当時、ソニー社長の盛田昭夫氏と庄司さんは親友で、よくゴルフをともにしていたそう。盛田氏がウォークマンの試作品を見せ「社員全員が反対している」と打ち明けたところ、庄司さんが「これはすごくいいと思います」と背中を押したのが、発売の決め手になったといわれています。
晩年と2026年の訃報
妻の中村紘子さんが2016年7月26日に大腸がんで72歳で亡くなった後、庄司さんは一人で暮らしていました。
2026年4月5日、老衰により88歳で静かに逝去。
訃報は中村紘子さんの公式サイトで公表され、文壇や音楽界に深い悲しみをもたらしました(読売新聞・2026年報道)。
最愛の妻・中村紘子さんとの夫婦関係については、子記事で詳しく解説しています!
まとめ
庄司薫さんの人生を振り返ると、「型破り」という言葉がぴったりです。
東大法学部卒業という超エリートでありながら、高校生の一人称小説で文壇を席巻。その後は約半世紀小説を書かず、プロ級の投資家として静かに人生を歩んだ。
庄司薫さんの人生・5つのポイント
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| 生涯 | 1937年〜2026年、享年88歳 |
| 学歴 | 東京大学法学部卒(日比谷高→東大) |
| 受賞 | 中央公論新人賞・芥川賞(第61回)のW受賞 |
| 代表作 | 薫くん四部作(累計360万部超) |
| 最後の作品 | 1977年の「ぼくの大好きな青髭」 |
88年という長い人生の中で、名作を世に残し、最愛の妻と40年以上を歩み、静かに旅立った庄司薫さん。
その作品は今もなお、中公文庫や新潮文庫で読み継がれています。
妻・中村紘子さんとのドラマチックな馴れ初めや夫婦エピソードは、こちらの記事でたっぷり紹介しています!


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