引用元:スポーツブル
関ジャニ∞の中心メンバーであり俳優としても活躍する大倉忠義さん。その輝かしいキャリアの裏には、幼少期からの多くの挑戦と努力が隠されています。今回は「知られざる原点」として、大倉さんの子供時代や少年期のエピソード、ジャニーズへの挑戦秘話を7つ厳選してご紹介します。
1. 幼少期は病弱ながらも大食い少年だった
1985年5月16日、大阪府東大阪市に生まれた大倉忠義さん。幼少期は体が弱く、桃腺の手術を受けるなど体調管理が大変でしたが、食べることが大好きな大食い少年でした。小学3年生の時にはカレーを食べ過ぎて母親に叱られたという微笑ましいエピソードもあります。
2. ジャニーズ入りのきっかけは好きな女の子の影響
小学4年生だった1995年、当時人気だったV6の森田剛さんが好きな女の子がファンだったことがきっかけで芸能界に興味を持ち、自ら履歴書をジャニーズ事務所に送りました。幼いながらも自発的な一歩がその後の人生を大きく変えました。
3. 普通の家庭で厳しく育てられた少年時代
父親は居酒屋チェーン「鳥貴族」の創業者で社長ですが、大倉さんの幼少期は「ボンボン」的な生活ではありませんでした。ジャニーズJr.になってもお小遣いはなく、新聞配達のアルバイトを経験するなど、決して恵まれた環境ではなく、厳しい教育を受けて育ちました。
4. 中学時代はテニス部に所属し運動神経も良好だった
俊徳中学校時代はテニス部に所属しましたが、部活動の継続は長くなく、すぐに辞めてしまいました。しかし、スポーツに触れたことで運動神経の良さも培われていきました。
5. 高校時代は苦労の連続で初期メンバー入りならず
大阪商業大学高校に進学後、2002年に関ジャニ∞が結成されましたが、大倉さんは初期メンバーに選ばれず、バックダンサーとして活動を続けました。この時期の苦労がのちの成功への糧となっています。
6. 学業と芸能活動の両立に苦戦し通信制高校へ進学
仕事が忙しくなり、一般の高校は中退。その後通信制高校に入学しましたが、それも続かず、29歳の時にテレビ番組の企画で高校卒業認定試験を受けて合格しています。努力家で負けず嫌いな一面が垣間見えます。
7. 幼少期の厳しい環境が今の努力家で温かい人柄を形成
幼少期の病弱な体と厳しい家庭環境を乗り越え、芸能界の厳しい競争を勝ち抜いてきた大倉さん。努力と負けず嫌いな性格はこの時代に培われ、関ジャニ∞の中心メンバーとしてだけでなく俳優としても多方面で活躍する原動力となっています。
まとめ
大倉忠義さんの子供時代や少年期には、体調の不安や厳しい環境、そして芸能界での挫折と挑戦がありました。しかし、それらの経験が彼の人間性や努力家の姿勢を育て、現在の成功に繋がっています。これからも彼のさらなる活躍に注目していきましょう。
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