引用元:NHKニュース
日本女子サッカー界を牽引する熊谷紗希選手は、なでしこジャパンのキャプテンとして数々の輝かしい実績を残し続けています。しかしその原点は、学生時代に培われた「文武両道」の努力と強い精神力にあります。今回は筑波大学時代を軸に、熊谷選手の若い頃の歩みと実績を振り返りながら、そのキャプテンシーの源泉を探ってみましょう。
■ 小・中学校時代:男子に混じって挑んだ厳しい環境

札幌市立真駒内南小学校でサッカーを始めた熊谷選手は、男子チームの中で唯一の女子選手としてプレー。幼い頃から「男の子に負けたくない」という気持ちが強く、ここで培われた競争心がその後の原動力になりました。
中学校は進学校として知られる札幌市立真駒内中学校に進学。練習後に母親の送り迎えを受けながら塾にも通うハードな毎日で、サッカーと学業の両立を徹底しました。早くから「限られた時間で最大限の成果を出す」という生活リズムを作り上げていたのです。
■ 高校時代:強豪・常盤木学園で主将と学業トップの二刀流

高校は宮城県仙台市のサッカー強豪校・常盤木学園に進学。1年生からレギュラーに抜擢され、3年生で主将を務めて全日本女子ユース選手権を3連覇。
しかも、学業でも首席入学・特別クラスで成績上位をキープし、恩師からは「サッカーをしていなければ東大に行けた」と評されるほどの超インテリでした。
高校2年時にはU-19日本代表に選出され、年間100日以上に及ぶ遠征と合宿をこなしながら、大学進学を見据えた学習も欠かしませんでした。
■ 筑波大学時代:プロと学生の二足の草鞋、世界で輝いた原点の舞台

2009年、筑波大学体育専門学群に入学。同年浦和レッズレディースに加入し、学生とプロを両立させる日々を送ります。
練習後に約2時間かけて通学し、授業を休むことも多いなか、通学電車内で勉強するなど時間を工夫。教授や友人のサポートも受けながら学業を継続しました。
大学3年時の2011年にはドイツの名門1.FFCフランクフルトへ移籍。この時筑波大学は休学扱いとなり、2016年に退学していますが、「チャンスをつかんだからこそ今がある」と後悔は一切なしと語っています。
■ 学生時代の実績ハイライト
時期 | 学校・所属 | 実績・特徴 |
---|---|---|
小学校 | 札幌市立真駒内南小学校 | 男子に混じりプレー |
中学校 | 札幌市立真駒内中学校 | 進学校で学業とサッカー両立 |
高校 | 常盤木学園高校 | 主将、全日本女子ユース3連覇、成績上位クラス |
大学 | 筑波大学体育専門学群 | 浦和レッズL両立、W杯優勝(2011年)、五輪銀(2012年)、ドイツ移籍で休学・退学 |
■ キャプテンシーと強さの源泉は“文武両道”の精神

熊谷紗希選手の強さは、男子と対等に戦い抜いた幼少期の環境、進学校での学業、そして筑波大学での文武両道生活に根ざしています。
「限られた時間のなかで最大限のパフォーマンスを出す」経験は、代表キャプテンとしての責任感やリーダーシップに大きく影響。自らも「やるべきタイミングで挑戦を恐れない」姿勢を貫き、海外挑戦もその延長線上にあります。
■ まとめ:筑波大学時代は“世界で戦うキャプテン”の原点
筑波大学時代に磨かれた学業とサッカーの両立、そして厳しい環境で培った精神力こそが、熊谷紗希選手の「なでしこジャパンキャプテン」としての原点。
彼女の歩みは、「トップアスリートでありながらトップの知性も持つ」稀有な存在であることを証明しています。今後もその強さと知性を武器に、国内外の舞台で輝き続けることでしょう。
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