日本の音楽プロデューサー、アレンジャー、ベーシスト、マニピュレーターとして活躍した
「明石昌夫」さん
2025年5月24日、68歳で逝去されました。
お知らせ
— ミュージックユニバース (@musicuniverse99) May 24, 2025
本日、明石昌夫が旅立ちました。
明石昌夫はベーシストとして、また作曲家としてB'zやZARDをはじめとした数多くのアーティストのステージや楽曲制作に貢献しておりました。
その他にも数多くのアーティストの活動に多大な貢献をし、…
この記事は、明石昌夫さんの現在までの活躍を振り返ります。
また、「3人目のB’s」と言われた理由や一人息子についても説明します。
明石昌夫の現在までの活躍を振り返る!
明石昌夫さんは、
- 日本の音楽プロデューサー
- アレンジャー
- ベーシスト
として、J-POPの黄金期を支えた最重要人物の一人です。
幼少期からプロデビューまで
兵庫県西宮市出身。
なんと4歳からヴァイオリンを始め、中学時代にブリティッシュ・ロックに傾倒。
大阪大学基礎工学部電気工学科を卒業後、プロのベーシストとして活動を開始。
ビーイング黄金期の立役者
1988年、ビーイングと契約し、
B’zのデビューシングル「だからその手を離して」の編曲を担当。
以降、B’zのサウンド構築に深く関わり、
1997年までサポートメンバーとしてベースとマニピュレーターを務めました。
B’zの「3人目のメンバー」
と称されるほど、その存在感と貢献度は大きく、数々のヒット曲のアレンジを手がけました。
ZARD、大黒摩季、WANDS、TUBE、MANISHなど、90年代を代表するビーイング系アーティストの楽曲制作・アレンジも多数担当
J-POPサウンドの礎を築きました。
多彩な音楽活動とプロデュース
ビーイングを離れた後も、
華原朋美、西城秀樹、SIAM SHADE、Janne Da Arc、島谷ひとみ、V6など、ジャンルを問わず幅広いアーティストの楽曲制作に携わる
自身のバンド
バンド名:「AKASHI MASAO GROUP(AMG)」
を結成し、プレイヤーとしてもアルバムをリリース。
自由な音楽表現を追求しました。
教育者・後進育成への情熱
洗足学園音楽大学で教授を務め、音楽・音響デザインコースで学生の指導にあたりました。
晩年は「ミュージックユニバース」の特別監修・プロデューサーとして、
ボーカルオーディションや若手アーティストの発掘・育成にも尽力しました。
技術とセンスの融合
工学的素養(大阪大学基礎工学部卒)を活かし、
シンセサイザーや打ち込みを駆使したサウンドメイクで、
90年代のJ-POPに新たな響きをもたらしました。
代表的なアレンジ作品には
B’z「ALONE」、ZARD「揺れる想い」
などがあり、キャッチーかつ重厚なサウンドで多くのファンを魅了しました。
功績と遺産
2025年5月24日、68歳で逝去。
その訃報は多くのファンやアーティストから惜しまれ、日本の音楽史に残る偉大な功績が改めて注目されています.。
明石昌夫が生み出したサウンドと、育て上げたアーティストたちは、今後もJ-POPシーンに語り継がれていくでしょう。
3人目のB’sと言われた理由!
明石昌夫が「3人目のB’z」と呼ばれた以下の理由が考えられます。
B’zのデビュー当初から1997年頃まで、サポートメンバーとしてベースとマニピュレーターを担当し、ライブやレコーディングで中心的な役割を果たしたこと。
数々のヒット曲のアレンジを手がけ、B’zサウンドの根幹を作り上げた存在だったため、ファンや関係者から親しみと敬意を込めて「3人目のメンバー」と称された。
「だからその手を離して」から「Liar! Liar!」に至るまで、初期から中期のB’z楽曲の多くで編曲や演奏を担当し、その音楽性に大きな影響を与えたこと。
ライブパフォーマンスでもベーシストとしてステージに立ち、B’zの二人(稲葉浩志・松本孝弘)とともに観客を魅了してきたことも、この呼び名の由来。
さらに、明石昌夫さん自身も「3人目のB’z」と自称し、
YouTubeなどで当時のエピソードや裏話を語るなど、その立場をユーモラスに受け入れていたことも、
ファンの間でこの呼称が定着した一因です。
息子も音楽の道へ!?
明石昌夫さんの息子も音楽の道に進んでいます。
息子の名前は「明石玲於奈(あかいし れおな)」さん。
お父さんと同じくベーシストとして活動していることがわかっています。
《主な活動内容》
・インディーズバンドでの演奏や、サポートメンバーとしてベースを担当。
・DJとしてもイベントに出演し、B’zの楽曲を流すなど幅広く音楽活動を行っている。
・B’zファンイベントでDJプレイを披露するなど、父・昌夫さんの音楽的DNAを受け継ぎながら、独自のスタイルで活躍している様子が伝えられている。
このように、明石昌夫さんの息子も音楽の世界で精力的に活動しており、
今後のさらなる活躍が期待されています。
まとめ
明石昌夫さんは、B’zやZARDをはじめとする数多くのアーティストのヒットを陰で支え、
「アレンジャー」「プロデューサー」「教育者」
として日本の音楽界に計り知れない影響を与えました。
その功績と情熱は、今後も多くの人の心に生き続けます。
明石昌夫さんの息子も音楽の世界で精力的に活動され、周囲からも期待されています。
惜しい人を亡くしました。
御冥福を心よりお祈り申し上げます。
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